2008年6月21日土曜日

万葉への眼差し

高校を卒業して幾年か経つが、自ら「古典」に興味を持ち、読もうと思うようになるとは、考えもしなかった。その位、ぼくの古文・漢文の点数は壊滅的で、惨憺たるものだった。

万葉集
日本に現存する最古の歌集。万葉仮名で書かれ、当代、後生に与えた影響は、それこそ測りきれない。(こういうとき「測りきれない」という言葉は重宝する。)
その名は「万葉」。葉の解釈には諸説あるが、素直な意味に解せば、よろずの言の葉。深い意味はない。ただ、そこに、いくつもの歌が収められている。古代中国における詩といえば、詩経を指すように、倭において世間で歌われる「言の葉」を集めたものが、万葉であったのだ。

さて、それでは我らの祖先、倭人の言の葉をゆっくり紐解いてゆこう…とするが、如何せん、古語の無理解と古典苦手意識からか、ひとつずつ読んでいっても、一向に頭に入らない。理解が出来ない。
例えば、と思い、「後期万葉集」(白川静著)を適当にめくる。

若鮎釣る松浦の川の川波の並にし思はば我恋ひめやも

わかゆつる まつらのかわの かわなみの なみにしもわば われこいめやも


と読んでみる。やはり分からない。
「恋ひめやも」とはどういう意味なのだろうか。多分、松浦の川で鮎を釣っていて、川面を見ながら、恋しい思いを馳せているのだろうけど、「恋ひめやも」がひっかかっているのか、自分の情感の乏しさからか、その趣きが理解できないし、身に染みて来ない。
言い訳するつもりではないが、これから、万葉集を少しずつ勉強して、うっすらとでも良し、その益荒男振りを解してゆこうと考えていた。その手前で、「万葉集」に関して一文書くというのは、自分の無知を曝すばかりではないか、という懸念が強い。
しかし、今回は、ぼくの古文のローテクさを披露しても仕様がないので、万葉に対する期待、万葉への眼差しを書き連ねようと思う。古文に疎い人間でも、ふと万葉への興味が喚起できる文章になれば幸いである。

①古よりのメッセージ
万葉の世紀と呼ばれる時代がある。662年から759年に掛けての約100年間。

日本人の特性かもしれない。老人の言葉は貴重であり、古い言葉は尊ぶべきもの、という観念がごく自然に感じられる。
日本最古の歌集、万葉。日本で最古の歌を詠むこと、それは、その時代の詠み手の心を、僅かながらにも、拝見させてもらうことである。尊い言葉のひとつひとつを自らに取り組むことができることは喜ばしいことではないだろうか。
過去の言葉を、現代において解釈する。それによって、古の世界に生きた人間と交流をすることが出来るのだ。
1300年前に、ここで暮らしていた人間が、何を思い、何を考え、何に楽しみ、何に苦しんだか。どのように生まれ、どのように暮らし、どのように死んでいったか。つまり、人間の片鱗を垣間見ることが出来るのである。
また、それは、現在の人間とどのように違うのか、どのように同じなのか。
生活を楽しむ心、生活を苦しむ心、生活をいとおしく思う心、生活を憎らしく思う心。
ぼくは、大局的に考えれば、人間というものは、今であろうが古であろうが、王であろうが民であろうが、男であろうが女であろうが、変わりはしないものだと思っている。
それならば、万葉に歌われている喜びも、ほとんど我々が感じることが出来るはずだ、と。
自分とは、あまりにもかけ離れた人間、時間的、距離的、身分的、様々なファクターがあるが、そのような人間の中に、自分と似通った精神を発見するときは、何か清清しい気分になる。精神の開放と呼びたくなるような感覚を感じる。それは、人間とは大局的に違いは無く、自分にも、他の人がしているどんなことでも出来るのではないか、という膨大な可能性を我が物にした、と思わせる。

しかし、それらの感動は、個人的なものであって、我々が論じたり、思考できるのは、やはり、大同小異で言う、小異の部分なのだ。冷静に見極め、何が同じで、何が同じでないか。
古からのメッセージ、それは我々に大きな可能性を抱かせ、静かに現代との差異を語る。その差異の声は、現代ではとてもか細く、弱弱しい声色だろう。しかし、違いを見出し、発見の喜び、新たな世界を広げることにも繋がる。それは、現代を未来へと繋げる役目もするのだろう。

②初めて発した言葉
申し上げた通り、日本最古の歌集。
過去から現代へと連綿と受け継がれる、倭・日本に住む人間の特性というものを見る。原始の姿の倭人。そこに現代の日本人を重ね、未来の姿を思う。例えば、次の事例は、容易に過去だけの問題と捉えることは出来ない。


まず、日本と中国における(倭と隋)七夕伝説の違いを見る。(文中の織女と牽牛はそれぞれ織姫と彦星のこと)
中国では、織女が車で天の川を渡る。
日本では、牽牛が徒歩もしくは舟で天の川を渡る。

万葉集に見られる七夕歌は、全て牽牛が天の川を渡っている。
しかし、その当時(もしくは少し前)の倭人が作った漢詩には織女が天の川を渡る記述が見られる。
中国の漢詩と倭の歌に違いがあるのは分かることだが、同じ倭人の歌う漢詩と短歌長歌にはっきりとした違いが見えるのはなぜなのだろうか?

倭では当時、逢引をするときは、男性が女性の家を訪ねる風習があった。男性の家を訪ねる女性は卑しいものとされた。そのため、中国から伝わった七夕伝説の、織女が牽牛に逢いに行くのは、好ましくない、と判断された。
万葉集には、織女でなく、牽牛が逢いに行くことに変えられた。しかし、漢詩では、中国的な要素が強く、中国文化への敬愛、向かう力が強かったために、日本文化との違いによって、話をすり代えることはされなかった、と考えられる。

倭の時代から、近世までは、中国に対する畏敬の念は、とても大きかった。現在は、中国等東洋諸国は、日本に「追いつけ追い越せ」と考えているところが多いだろうが、以前、日本は中国に対し「追いつけ追いつけ」といった具合だった。とても追いつくことの出来ないくらい、巨大な領域と莫大な民、あまりにも壮大な歴史と文化。例えば、文学に関して、日本人の文学者たちは、中国の文学ジャンルの全てを真似した。漢詩を作り、漢文を書いた。日本人には到底馴染まないし、意味のないと言われる賦の真似もした。
しかし、万葉における日本文学には、中国からの文化輸入だけでないものが見出せる。七夕の物語の違いは、その片鱗を見せる。



個人的な話になるが、ぼくが、盆踊りのバンドに参加するときに、リーダーがしきりに主張していたことがある。


現在では、西洋的な音楽が世の中に溢れ、誰も彼も音楽に携わる人間は必ずと言ってよいほど西洋的音楽に目を向けている。三味線や篳篥などの日本の伝統的な楽器の演奏者でさえも、商業的な場では、日本の民族楽器を西洋の音楽に合わせて演奏している。これは非常に嘆かわしいことだ。
日本の文化を昔のままの形で伝えてゆくことが良いこととは思わないが、素晴らしい文化がありながら、外国の文化を第一と捉え、自らの文化を外国の文化に合わせ、形を変えることは無いのではないか?
盆踊り、河内音頭、江州音頭の音楽は、そうではない。音楽は昔から変わっていないが、ギターやベースなど、使える楽器はなんでも取り入れてきた。西洋的な楽器はいくら取り入れていても、西洋的な音楽にはならない。つまり、楽器など、表現するものは何であれ、魂までは売ってはいない!
バンドでは、インドの楽器を多様して、ダブミックスを行うが、日本的な心は他の音楽よりも色濃く残っているに違いない、と。

その精神の源流を、古代の歌、万葉に見出せるのではないか、と思わず期待してしまう。
倭人は、隋に目を向け、体を向けていたが、隋の心に委ねられなかった倭の心がある。その根幹に近い所に辿り着けるかもしれない可能性は、とても興味深いものであると思う。

③躍動する精神・感情
万葉の世紀という時代には、律令制度は浸透はしておらず、仏教や儒教などもまだ輸入されてはいなかった。上から下への統制は、とても少なかったと考えてよいと思う。
その環境の中で、楽しまれた歌。それらは、閉塞感のある文学ではなく、のびのびとした開放感のある文学であるに違いない。人間の素直な感情が表現され、その躍動する精神・感情を読めることは、大きな喜びである。

神とともにある人びとが神への隷属から開放されて、しだいにその現実感情を確立してゆく精神の歴史が、あざやかに歌い出されているのである。
詩経(白川静著)

現代において、文学というものは、個人の苦悩や自由への探求というテーマがとても大きい部分を占めていると思う。現代文学に限らず、「現代○○」というものは、大きなテーマとして、アンチ・クラシカルというものが大きい。過去の潮流に流されず、今ここから始まる文化を重視している。
しかし、それは、単なるカウンターカルチャーの性質だけが強調されてしまっては、人間の精神はとても小さく、軽視され、結局は、堂堂巡りを繰り返すようになってしまうのではないか、と危惧してしまう。また、文化がそのように見えることは少なくない。
過去からの束縛や、自己への眼差しが強すぎると、素直な感情の表現への大きな障害になるだろう。
それらの束縛がなく、全ての条件が組み合わさり、ごく素直で伸びやかな精神の発露が確認できる文学。それは、万葉の他には、中々探しづらいのかも知れない。

④比較文化の視点から
このような、神の支配から、国王の支配へと変化してゆく中で、民衆が手にした一時的な開放、自由を謳歌した歌集というものは、世界に多数ある。
それは、万葉、詩経、リグ・ヴェーダの聖歌、ホメロスの詩、聖書の詩篇などである。
歌の始まりは、やはり神の言葉であり、その呪術性がだんだんと薄れたときに、人間は歌に楽しみや喜びを見出したのだろう。
ここでも、地域、時代を飛び越えて、共通する文化の側面を見出すことが出来るだろう。そして、大同小異の小異の部分、それぞれの歌集の違いにより、地域性や時代性、その背景を探ることができる。つまり、世界史の中の日本史という目線。数ある古代歌謡の中での、日本の古代歌謡の位置付け、その意義や差異から見出される文化などを意識することも出来る。

⑤中国文明から日本文化への変化
万葉の時代には、平仮名、片仮名は発明されておらず、文字は漢字しか存在していない。しかし、その表記、表現方法は漢詩ではなく、仮名的な漢字の用い方、つまり、表意文字ではなく表音文字として漢字が使われ、それらを万葉仮名と呼ぶ。(元々、中国でも、表音文字としての漢字の使われ方は珍しいものではなかった。書くスペースの大きさや様々な都合から、音の同じ違う意味の漢字が用いられることは少なくなかった。)
やはりそこには、中国文明の流入と、日本文化の発育を眺めることが出来る。
漢字だけではない。そこに描かれている呪術的な表現、政の表現、生活形式の表現。倭に入ってきて、独自の進化を遂げたもの。しかし、それは中国文明に根付いているものが多いはずだ。
輸入されたものが、日本の文化に取り入れられるときに、非連続的に変化するものがある。(七夕の物語など)そして、輸入された文化が日本で発展を遂げるに連れて、その独自性を獲得するものがある。それが、漢字から、万葉仮名そして、平仮名片仮名ローマ字などである。その非連続的な変化と連続的な変化。それを探る、大変貴重な資料として、万葉を眺めることも出来よう。

万葉仮名を話題にするとき、私の胸にまず湧きあがるのは、われわれの過去というものが未来とほとんど同じほどに「未知」の世界を豊かにもっているということ、しかもその世界をのぞきこむことは、未来を単に望み見る場合とは違って、しばしば感動的な発見をもたらすということへの畏敬の念である。
万葉集(大岡信著、岩波書店)

⑥表現
現代において、表現というものはますます過激に、刺激的で理解の容易なものになってきてると思われる。ひとつ文化の発展、もしくは大衆化というものは、その二つの変化を基本としているのかもしれない。つまり、人の心を揺さぶる内容の過激なもの、どのような人にとっても平易で分かりやすいもの、その二つのベクトルが、文化の発展に大きな活力、加速度を与えているのだと思う。簡単な物語を何遍も焼き直し、TVドラマなどを見ていると、一話完結というスタイルのものがとても増えたように感じる。
それを思うと、古の人間は、きっと今では、見逃してしまうようなとても些細なことを心を奪われ、感嘆し、詩歌に興じて、みんなと喜びあっていたのだろうと想像される。万葉には、その生活の機微を素直に表現されているのだろう、と。
それは、表現される対象の変化の言及である。

さらに、表現方法の変化という視点も尚興味深い。

中国の古代詩においては、形似の問題が取り上げられることがある。形似とは、写真で言えば、被写体とその映し出された写真との描かれ方のことを言う。芸術論で言う、ランプと鏡である。
その変化は、まず表現というものは、事物をいかに正確に表現するかであった。その表現された詩を読むことによって、あたかもその空間に居るように、そのものに触れているように感じる表現であった。しかし、次第に、表現された詩を読むだけでは、その詩の優れていることに気付かず、その事物に実際に触れることによって、初めて、その詩の描かれた正確さ、実際に体験した経験との酷似を知ることができるものとなった。
このような変化は、きっと、万葉の中、もしくは、他の歌集との比較の中で必ず見出すことの出来るであろう。
万葉を読むにあたり、表現を特に慎重に読み解く。さらにそれは、表現されるものと表現する方法に関して注視すれば、また何かしらの発見があるに違いないだろう。

最後に
万葉というものは、100年以上にわたる国家プロジェクトで完成された文学である。現代、このような壮大な文学は、存在しえないであろう。というのも、もともと文学、さらに文化というものは、君王の統治の道具、もしくは、文化の繁盛を示すものであって、こぞって文学者や楽師などを囲い、作品を作らせた。文学や文化的な表現というものが、個人の咆哮であり、個性の表出である、という考えが根付いているのは、西洋的な自我が流入して、やっと日本人にも根付いた、というだけなのだろう。そもそも文学というものは、政治的な背景を持っていた。
しかし、現代にして、そのような巨大な文学作品に、何の地位も無い、ぼくのような人間でも触れることができる。そこから様々なことを感じ、発見し、感動することが出来る。さあ、いざ書の紐を解かん!我々は、巨大な海原のほとりで、ただ見ているだけにはいかないだろう。






参考資料


全編を見る



詩経(白川静著、中公文庫)

後期万葉論(白川静著、中公文庫)

万葉集(大岡信、岩波書店)

4 件のコメント:

suganuma さんのコメント...

自注

※若鮎釣る~の歌の現代語訳

若鮎釣る松浦(まつら)の川に 川ナミ立つ
ナミな想いなら わたしはこんなに
恋い焦がれは しないわ
あなたを マッて恋い焦がれて

並と波が掛かっていて、恋と来いが掛かっているのでしょう。全然イメージと違いましたorz

※倭と日本

日本という言葉が始めて出てくる文章は、689年の清御原令にて。対外的に、日本という国名を名乗り始めるのは、701年の大宝律令から。という史実を意識して、日本と倭を使い分けました。
日本という名前もない土地に住んでいる人間に対して、現在日本の土地であるという理由だけから、日本人と呼ぶのはケシカランという、網野善彦の意見を受けてであります。
中国もその当時の国名で呼ぶのが妥当なのですが、領域の変化や皇帝の変化、侵略などが激しく、煩雑になるのと、自分の学識の無さゆえ、隋か中国のみ記述しました。

suganuma さんのコメント...

自コメです。

人に見られる文章を意識して書きました。
人に見せるんやから、中途半端なものは書けない!という力みから、かなり長文になってしまった。しかも、内容的には中途半端やし。
いや、説明する難しさ、自分の思考を言語に変換する難しさに悶えながらタイプしました。これって、ある意味文章を書く以前の問題なんじゃないの?って思う。

目指すべきところは、3日前に、出版社から原稿依頼があったんだけど、急いで入稿しました、って文章。誰が読んでも理解できる文章を目指します。
まぁ、まずは慣れね。
志は高いですが、内容は薄いです。

内容的には、愛国主義ぽくて、割と粘度が高いような気がしますが、お題がお題だけに仕様がないかな?って気がします。
さらっと、万葉集って、こんな詩があって面白いよ~ぐらいのサラっとした文章だったら、もっと一般性があって、興味も持ちやすいのかもしれませんが、やっぱりどうしても、内へ内へと目が向いて、愛国的に煮詰まってくる感じがします。
ぼく自身、愛国心とか郷土愛とかがほとんど無いもんで、冷静に、「ことの始まり」を見てみたいという思いがありました。

あー、次のお題忘れてました。
「バブル」
「ラノベ」
自由記述
のどれか選んでください~◎
抽象、具体、自由の3つを選択肢にしたいと思ったんやけど、中途半端ですんません。
はっちん、よろしゅう☆

akira さんのコメント...

愛国的な煮詰まりは感じませんでしたよ。むしろ白シャツ氏が、万葉集に持っているイメージがすなおに表現されていると思います。
ここで専門家ではない個人によって構築されている万葉観は、あまりクリアではないが、それゆえに万葉集というものの掴みきれなさ、あるいは膨大で巨大な海原感が伝わるような気がします。
そうしてそれを可能にしているのが、

「ぼくは、大局的に考えれば、人間というものは、今であろうが古であろうが、王であろうが民であろうが、男であろうが女であろうが、変わりはしないものだと思っている。」

とか、

「古からのメッセージ、それは我々に大きな可能性を抱かせ、静かに現代との差異を語る。その差異の声は、現代ではとてもか細く、弱弱しい声色だろう。しかし、違いを見出し、発見の喜び、新たな世界を広げることにも繋がる。それは、現代を未来へと繋げる役目もするのだろう。」

という古典へ向かう衒いのない白シャツ氏の姿勢なのだろうと思うわけです。

suganuma さんのコメント...

はたのし遅いなぁ。

追記しておきますが、ぼくの万葉観は、構築されてないんです。本文は、万葉に対する期待や眼差し、つまり、万葉観を構築するための足掛かりになれば良いなぁ、というもの。
そのための、6つの側面(賽の目)を挙げてみよう、という文章にしたかったんよね。初めて万葉に触れる人、しかも古典が苦手な人でも、万葉の色んな側面から興味を持って取り組んでいけるように。

もっと、独りよがりにならん文章を目指します。

米thx